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コラムvol.31☆~2022年5月15日・沖縄復帰50年~

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ご愛読いただきまして誠にありがとうございます(^^)/
川端ゆかり・50才です(^^)/

 

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2022年5月15日・沖縄復帰50年

 

50才のわたしが今想うことは
「沖縄復帰100年のときに沖縄が日本であるように。次の世代へバトンを繋ぐこと!!」

 

そのためには「人」。
賢者を育てる「環境」。
見聞を広めた賢者が戻りたくなる沖縄をつくること。

 

今回は、復帰50年に際して私が想うことを少しお話させてください。

 

 

 

 

ウクライナの情勢に触れると悲しい気持ち、やるせない気持ちとともに
21世紀の現在においてもこれまで同様に戦争は繰り返されるのか、と恐怖を覚えます。

 

 

沖縄にも77年前の第2次世界大戦で20万人余りの尊い命が失われた歴史があります。
(沖縄県民の4人にひとりが亡くなった)

 

戦後77年、復帰50年たって現在も日本国における米軍基地の割合は沖縄県に集中(7割)しています。

 


「基地負担もどうして沖縄ばかり?」
そんな疑問を抱えながら大人になりました。

 

そして、今、軍用地売買を生業にしている私がいます。

 

「基地負担のリスクは沖縄県民にあるのに借地料だけ県外にいくっておかしくない?」

私の行っている仕事は沖縄県民として胸を張れることなのだろうか?
美しい仕事といえるのだろうか?

正直、葛藤がありました。

 


そんなモヤモヤした気持ちを、今はお空に旅立った先輩の弁護士にぶつけたことがあります。

 

「気持ちはわかるけど、あんたは法を犯しているわけではないさ。
それよりもまず、自分の会社が将来もあるよう考えなさい。経済力をつけなさい」

 

そう先輩は返してくださいました。

 

「基地が返還されるときにこそ役に立つ人材を育てよう」
「返還に間に合えば、私も役に立つ人であろう」

と強く思うようになりました。

 

 

戦後のアメリカ統治下で苦労を重ねた先輩方の命。
そして生まれた時からフェンスがあり平和でA&Wで育った私たち世代の命。

 

それぞれの命や想いを
次の世代が安全に平和に暮らせるように「つなぐこと」を大切にしていきたいと想います。

 

 

 

沖縄もウチナーンチュも大好きだけど…

 

 

1971年生まれの私たち含め以降の世代は
「考えない世代、意思のない世代」
に育ってしまったような気がします。(すべての人ではなく全体的に)

 

復帰について?
沖縄について?
沖縄は大好きだけどあまり考えたことがない。いいさ、ありカンパーイ!!

という風習です。

 

自分を含めてその思考停止は危険だと、もったいないと思います。

 

「私はこう思います、あなたは?」

と、沖縄で働くひとりの母親として、経営者として
お互いの意見を自分のことばで伝えられるように身近なところから変えていきたい。

 


たとえば、返還が予定されている浦添市キャンプキンザーについて。

 

「辺野古の埋め立て反対!」という沖縄の政治家は多いのに、
浦添市キンザーへの那覇軍港移設埋め立てについてはなぜ、何も意見交わさないのだろうか?

 

容認なのか?
いつのまに?


今ならわたしたちの民意を届けることができるんじゃね?
と、有志たちと立ち上げた「Urasoe Sunset Park Community」では、

 

「コミュニティーオーガナイジング」
(仲間を集め、その輪を広げ多くの人々がともに行動することで社会変化を起こすこと)
という手法でキンザーの地主、そして周辺に住む人達、
それだけでなく沖縄県民皆さんを巻き込んでいけるといいなという想いで動いています。

 

 

復帰50年の節目の今年、秋に行われる知事選においては立候補者それぞれに
「浦添市キンザー海側の埋め立て」についての意見もぜひ、聞いてみたい。

 


飛行機に乗ると上空から一目瞭然
「辺野古の新基地埋め立て工事」
も粛々と進められ、空から眺めるたびに地形が変わっていきます。
普天間基地の代替基地になるとのことです。

 

 

反対運動ではなく、意見を持ち、届けることで
キャンプキンザーの返還後の街やサンセットの風景が

民意で作られていくことを信じて


今後も問いかけていきたいと想っています。

 

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そして、
とまとハウジングはおかげさまで今年で24年目に突入します。


10年ほど前からは沖縄県外からも軍用地を購入したい、というオファーもいただくようになりました。

 

27才×たたき上げ×後ろ盾無!


で不動産会社を設立した当時は、いわゆる不動産免許を持たないブローカーのオッサンもよく軍用地売買にからんできました。

 

芋づる式のように
コバンザメのように

オッサンが次々現れ、よく喧嘩もしたものです…(遠い目)…あれ?また話がズレていますか?

 


復帰50年の現在、おかげさまで会社と共に私も成長しました。

 

沖縄への恩返し、共感を「自分たちごと」として「考える輪」を。

一種のムーブメントを起こす起爆剤になりたいと思っています。


…復帰50年の川端ゆかり50才の決意表明みたいになってしまいました。

 

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最後までご一読いただきありがとうございます。
沖縄クチコミ不動産とまとハウジングの川端ゆかりでした(‘ω’)ノ